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石の島コラム

先代の魂が紡いでいった島の誇り(小豆島町編)

石の島コラム
先代の魂が紡いでいった島の誇り(小豆島町編)
1934年に日本で初めて国立公園に指定された区域の一つ、瀬戸内海国立公園は、小豆島の寒霞渓をふくめ備讃瀬戸を中心とする一帯が含まれていた。
小豆島町の神懸山、通称・寒霞渓は、島内中心部にある岩山一帯であり、日本三大渓谷美の一つだ。その渓谷美は、日本書紀にも記されているほど。


「地元の小学生の遠足はここ」と、島に人は親しみを込めて言う。
寒霞渓は、約1,300万年前の火山活動によって、独特の景観が生み出された。奇岩や岩肌はさまざまな姿をしてみせる。もとは「霊地・霊場」として人々の信仰対象であり、巡礼者が立ち寄っていた。
それが江戸から明治にかけて観光地として広まり、大正の頃には国の名勝に指定され、寒霞渓の登山用観光案内図も作られた。そこには、今も続く「表十二景、裏八景」という二つの登山道が記され、合計20個の見所が紹介されている。

寒霞渓の登山用観光案内図

生憎の曇り日。
こううん駅からロープウェイに乗る。寒霞渓の麓と山頂を行き来するロープウェイは、片道およそ5分。その間、両サイドに広がる渓谷、海、空が一望できる。ここでしか見られない特別な景色だ。
山頂へ近づくほど、立ち込めるガスが切り立った岩肌をところどころ隠して、ミステリアスな景観を作り出している。
四季折々に美しい姿をみせる寒霞渓は、新緑にもえる夏や、真っ赤な紅葉に彩られる秋が特に大人気だ。「だけど本当に“寒霞渓らしい姿”が見られるのは、冬なんですよ」と、寒霞渓ロープウェイを運営する三浦崇寛さんに聞いた。

寒霞渓の紅葉

山頂はまさに「霞の世界」だった。晴れていれば四国や瀬戸内海の島々を望めるらしいが、それでも不思議と、残念だとは思わなかった。
寒くて、霞みがかって、幻想的な景色。
明治の頃、「寒霞渓」という名をつけた儒学者・藤原南岳は、きっとこの幻想郷をみたに違いない。そう思うと余計に、この霞に隠れた渓谷美は、妖艶に、いっそう美しく見えた。

寒霞渓ロープウェイ 三浦崇寛さんと

ところで、小豆島は言わずと知れた醤油の名産地で、醤の郷(ひしおのさと)と呼ばれる地区がある。寒霞渓の地形により “寒霞渓おろし”という風が吹き、醤がよく育つと言われている。昔の人は、風や地形という自然をよく見て、街づくりをしている。

醤の郷の街並み

さて、寒霞渓は花崗岩の小豆島が噴火を繰り返してできた安山岩層などの岩山だが、石材産業に使われた花崗岩が見られるところが小豆島町にもある。国指定史跡に指定されている天狗岩丁場だ。



北木島の鶴田石材や讃岐広島の三野石材で見た丁場とは、また雰囲気が違った。山の中に石が転がり、よりプリミティブな印象を受ける。
ここでは、山に浮き出たような浮石を採石していたようだ。今も、大小666個もの残石がごろごろと残り、当時石工が打ち込んだくさび跡も見られる。
それは、人が手作業で、真摯に石と向き合ってきた証だ。


石を採るのは大変な労働だ。
石を採ったら切らなければならない。つまり、巨石に矢を打ち込み、割っていく。無駄なく綺麗に「切る」ためには、石の目と呼ばれる割れやすい目を正確に読む高度な技術*1がいる。それから石の目に沿って、くさびのような矢を槌で打ち込んでいく。
石の目や重力を読み、昔の人は重機のない時代から作業をしていた。


「自然に逆らわず、やさしく対話すればいい」
天狗岩丁場を案内してくれた石工の藤田さんの言葉にハッとした。近代化の流れのなかで、人はいつしか自然と対話することを忘れてしまっている気がしたからだ。

地元で中世から近世の石割技法を独学で研究する髙尾石材㈱生産事業部長の藤田精さん


高さ17.3m、重さ1,700tに及ぶ大天狗岩の前に立つ。
藤田さんの言葉が蘇る。自然を敬い、その声を聞き、小豆島の近代化に大いなる貢献を果たした石工たちの言葉そのものだと感じた。
自然と人のサスティナブルな調和を、今一度、この時代から学ぶことができるように思う。


そして今、石材産業の時代は過ぎていった。ピーク時、130あった丁場のすべてが稼働をやめている。
「瀬戸内海の大都会」と言われる小豆島。インフラも整い、最低限の生活に必要なものはほとんどが揃っている。観光の島として数々の異名を持ち、近隣島々を牽引する勢いだ。
だが、小豆島がたまたま幸運だったわけではない。
先代が、島の歴史をしっかりと刻んでいき、伝統、文化、産業の軌跡を今に残しているからだ。今の小豆島の在り方は、誇り高き島の想いが紡いでいった“カタチ”なのである。

*1:矢穴技法(やあなぎほう)石を割る技法のひとつに「矢穴技法」というものがあります。この技法によって少ない労力で大きな石を割ることが可能となりました。中世に中国大陸から伝わったといわれています。大きな石を思い通りに割ることが可能になったことで、石材の規格化が進行し、大坂城のような高い石垣を構築することが可能となったと考えられています。




旅作家・旅女 小林 希 プロフィール


旅、島、猫を愛する旅作家/元編集者/Officeひるねこ代表/離島アドバイザー/日本旅客船協会「船旅アンバサダー」
1982年生まれ、東京都出身。在学中写真部に所属。
2005年サイバーエージェントに入社、出版社に配属。2011年末に出版社を退社し、世界放浪の旅へ。
1年後帰国して、『恋する旅女、世界をゆくー29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマに執筆活動・写真活動している。著作など多数。
また、瀬戸内海の讃岐広島に「ゲストハウスひるねこ」をオープンするなど、島プロジェクトを立ち上げ、地域おこしに奔走する。現在海外65カ国、国内100島めぐる
年150日は東京以外の他拠点生活。旅でみんながつながるオンラインサロン『しま、ねこ、ときどき海外』を運営し、サロンメンバー(ひるねこ隊)の隊長として、さまざまな旅企画など実行中。女性誌『CLASSY』やデジカメWatch、ペットゥモローなどで連載中。
2019年11月より一般社団法人日本旅客船協会の船旅アンバサダーに就任。海事観光、船旅を盛り上げるべく活動している。

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