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石の島コラム

瀬戸内海の謎の島から、島の魅力へハマる(丸亀市編)

石の島コラム
瀬戸内海の謎の島から、島の魅力へハマる(丸亀市編)
穏やかな海を指でなぞるように船が行き交い、幾つも重なる島影が、海にぽっかり浮かんでいる。
この“多島美”を初めて船から眺めて、。「これぞ瀬戸内海か」と心奪われてから7年が経つ。
それまで、島へ旅するだなんて、海が好きな人くらいが行くものだと思っていた。ところが、どっこい。島ほど、かくも面白きところはないと、今は断言できる。世界放浪の旅から帰って、2014年に瀬戸内海の島々を旅してたとき、不覚にも笑ってしまった。「なんてこと、海外よりもハマりそう」と。



ノスタルジックな海に抱かれた島は、情緒的な家並みが残り、歴史的な伝統行事が伝承され、人と人が繋がって暮らしている温もりに満ちていた。島を歩くだけで多幸感を味わい、「何か」をするために島にくる必要はないのだと知った。
そして、香川県の塩飽諸島の一つ、讃岐広島で僥倖な出会いがあった。島に7つある集落の一つ、茂浦で、島の人たちと一緒にゲストハウスをつくることになったのだ。以降、毎月のように讃岐広島へ通った。来るたびに発見と驚きの宝庫で、きっと、海で遊ぶだけが島旅であったなら、讃岐広島へは足が遠のいていただろうと思う。



「ここは何もないように見える、謎の島よ!」と自治会長の奥方・平井光子さんがにこやかに言う。「謎の島」とは実に言い得て妙で、実際に足を運べば、表面をなでる程度ではわからない、とても奥深〜いところに、島の魅力が広がっていたのだ。



旧正月、おごそかに執り行われる百手神事*1、桜の咲き乱れるピンク色の林道、青い空と海に映える緑が萌える王頭山、伝統の白い獅子舞が踊る秋祭りと、季節が移ろうなか、自然と密接にかかわってきた人の暮らしを直に感じて、「日本の原風景」や「古き良き日本の姿」といえる光景を幾度となく目の当たりにした。いつからか、「また帰ってきなよ」「おかえり」と島の人たちに言われることが嬉しくて、島旅の醍醐味は、人に会いにいくことだと実感した。

広島茂浦の百々手神事

あるとき、島の立石地区にある豪壮な古邸の「尾上邸」が見られるというので、嬉々として付いていった。普段は公開されておらず、だけどその石垣が4mもある立派なものであるため、城郭のような外観だけでも観に来る人はいる。

尾上邸

江戸時代、複雑な海流の塩飽諸島では、操船技術に長けた水夫たちは「塩飽水軍」と呼ばれ、幕府の御用船方を務めた。その仕事ぶりが買われて、讃岐広島ふくめ塩飽諸島の島々は、幕府から直接自治権が認められた人名制が敷かれていた。咸臨丸*2に乗船した水夫も、多くは塩飽出身の者らしい。やがて、歴史の流れとともに、造船技術にも長けていた水夫たちは塩飽大工として活躍する。
ちなみに丸亀市の本島へ行くと、「塩飽勤番所」では塩飽水軍の歴史が展示され理解しやすいし、「笠島重要伝統的建造物群保存地区」ではおよそ100軒の家が連なり、塩飽大工の巧妙な手仕事を感じ取れる。

笠島重要伝統的建造物群保存地区

廻船問屋として財を成した尾上家も、やはり塩飽大工に邸の建築を任せた。尾上邸は讃岐広島の“塩飽”を語る上で、島のへそとも言える存在だ。どんな歴史にも栄枯盛衰あるものの、尾上邸を眺めれば、いつかの島の賑わいが想像できる気がした。
ところで、尾上邸の石垣は、島内の青木地区で採れる青木石でできている。讃岐広島は、別名「石の島」と言われている。とくに青木では、良質な青みがかった花崗岩が採れるため、大阪城の築城にも青木石が使われているほどだ。石産業の最盛期、島内には70ほど採石場があったそうだ。今稼働している丁場は数軒だけ。



後日、自治会長の平井明さんに青木の三野石材を紹介してもらった。代々続く石工さんだ。三野智基さんに案内してもらい、丁場に立った瞬間、迫り来るような岩肌に圧倒されてしまった。島というか、地球の内側に入り込んだような空間。長い年月をかけて、上から下へと山をくり抜いていった石工さんの圧倒的努力。

有限会社三野石材店 三野智基さん

「僕は小さいときから早く石工になりたくて仕方なかった」
智基さんの眼差しは、ここが彼の人生の遊び場であるかのように楽しそうだ。
私たちが自然とともに生きていることを、島はいつも優しく、気づかせてくれる。



*1:百手神事(ももてしんじ)江戸時代から続く、茂浦地区の塩釜神社で行われる神事です。祭礼の早朝、裃を着た射手が海で弓と矢を浄めます。その後、塩釜神社境内で五穀豊饒や祈願成就など、願いを声に出しながら、的めがけて矢を放ちます。
*2:咸臨丸(かんりんまる)江戸時代の終わりに、江戸幕府がオランダに注文して建造した軍艦。原名はヤパン(日本)号。日本の軍艦としては初めて太平洋を横断しました。この船の乗員の多くは塩飽諸島の出身者でした。




旅作家・旅女 小林 希 プロフィール


旅、島、猫を愛する旅作家/元編集者/Officeひるねこ代表/離島アドバイザー/日本旅客船協会「船旅アンバサダー」
1982年生まれ、東京都出身。在学中写真部に所属。
2005年サイバーエージェントに入社、出版社に配属。2011年末に出版社を退社し、世界放浪の旅へ。
1年後帰国して、『恋する旅女、世界をゆくー29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマに執筆活動・写真活動している。著作など多数。
また、瀬戸内海の讃岐広島に「ゲストハウスひるねこ」をオープンするなど、島プロジェクトを立ち上げ、地域おこしに奔走する。現在海外65カ国、国内100島めぐる
年150日は東京以外の他拠点生活。旅でみんながつながるオンラインサロン『しま、ねこ、ときどき海外』を運営し、サロンメンバー(ひるねこ隊)の隊長として、さまざまな旅企画など実行中。女性誌『CLASSY』やデジカメWatch、ペットゥモローなどで連載中。
2019年11月より一般社団法人日本旅客船協会の船旅アンバサダーに就任。海事観光、船旅を盛り上げるべく活動している。

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