北木島楠(くすのき)地区の海岸に,昔から知られているふたつの奇岩がある。
ひとつは猫岩(ねこいわ)といって,岩肌に猫の顔が浮き出ているように見える自然石だ。
猫岩
「昔,源平の戦いがあったとき,一人の大将が,縁起を担いで船に一匹の三毛猫を乗せていた。しかし,戦に敗れて船は沈み,大将は亡くなった。残された猫は,海を泳いで何とかこの岩までたどり着いたが,力尽き息絶えてしまった。その猫の霊が乗り移って猫岩になった。」と伝えられている。日光の当たる角度にもよるが,猫の顔がくっきりと浮き出る様は,伝説にリアリティを与えている。
そもそも笠岡諸島には,源平の戦いにまつわる伝説が数多く伝わっている。寿永2年(1183),倉敷市玉島を舞台に繰り広げられた水島合戦の古戦場は,海上から見れば,まるですぐ近くにあるように感じられる。当時笠岡諸島に住んでいた人々の,心に残る出来事が起こったことは想像に難くない。
猫岩の隣に,重ね岩がある。三つの大岩が見事に重なり合っているが,これは人の手によるのではなくて,花崗岩の風化が進んだことでできあがったものと考えられている。
このような割れ目は「方状節理」といわれ,花崗岩でよく見られる現象である。
重ね岩
ただし,よく観察すると,石を割りとるときについた「矢(や)穴(あな)」(ノミで掘った穴)の跡が残っているので,その昔,付近で石切り作業が行われたことが分かる。
これらの奇岩は,三洋汽船の定期船(普通船)に乗っていれば,北木島楠港に寄港する際,目にすることができる。
もう1箇所,幻のスポットを紹介したい。
豊浦(とようら)地区と楠地区の間に,「矢倉」と呼ばれる場所がある。この磯では,大きく潮が引いた時だけ,矢穴が残る巨岩が姿を現す。
大潮干潮時の矢倉
大潮の干潮に合わせて現地を調査したところ,平面(12×5m)と(9×7m)の規模の古い採石跡が残っていた。また,切り出された石がそのまま海中に放置されているような地点もあった。その痕跡を見る限り,相当大きな石を切り出したようだ。
機械のなかった時代には,海岸に露出している花崗岩を割り取って,そのまま船に乗せて運ぶのが合理的な採石方法だったと考えられる。
干潮により姿を現した矢穴の残る巨石
北木島石切唄の一節に「難波名物大阪城も 北木から運んだ石でもつ」とあるように,大坂城石垣に使う石を,北木島から採石したという伝説がある。
「北木石切唄」の碑(北木島金風呂地区)
大阪城桜門
その一方,大阪城では,桜門(さくらもん)の両脇に使われている龍虎(りゅうこ)石という巨石が知られている。雨が降ると右に龍の姿が,左に虎の姿がそれぞれ現れることからこう呼ばれているそうだ。この巨石が,北木島から運ばれた石であるという説がある。
だとすると,その石材は北木島のどのあたりから運び出されたのだろうか?
矢倉の磯は,その候補地の一つと考えても良いのかもしれない。
※矢倉の磯は,潮位が大きく下がった時にしか姿を現しません。いつでも見られる訳ではありませんので,ご注意ください。
《参考文献》
『ひらけゆく笠岡』笠岡市教育委員会発行1960年
『北木を語る-島と石と人の営みと-』元気ユニオンin北木編集発行1996年