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Shima愛!

小豆島 / 現代の石工が挑戦する矢穴技法

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小豆島 / 現代の石工が挑戦する矢穴技法

藤田 精さん



藤田さんは小豆島の高尾石材株式会社で生産事業部長として勤務をしながら、石を割る技法のひとつの「矢穴技法」を研究し、その技術や石の魅力を伝える活動をされています。
矢穴技法は、中世に中国大陸から伝わったといわれており、江戸時代には石垣用の石の切り出しなどに用いられ発達しました。藤田さんは、現代では途絶えていた矢穴技法を再現する素晴らしい石割技術をお持ちで、伝統的な石割技術を伝承するためにシンポジウムや研修を行うなど様々な活動にも取り組まれています。
「石が好きだから」と語る藤田さんに石の魅力について語っていただきました。


-小豆島で石の仕事に就いたのはどうしてでしょうか?

横浜で生まれて茨城で暮らしてたんですが、石彫を学ぶために東京の美術大学に通っていたんです。立体物のデザインが好きで石の彫刻、それの手法とか芸術学を学ぶためですね。石彫に携わってから石が好きになっていきました。木とか鉄とかの素材とかもさわる機会はあったんですが、なんか石がぴったりきたんです。はまった感じです。大学時代は、石で抽象彫刻を作ってました。

それから大学の同級生が小豆島で石彫をやっていたので、島を訪ねていったら島が気に入って…そこからずっとこっちですね。
最初は場所を借りて石彫の制作をしてました。今は、江戸時代に花開いた、矢穴や石割の技術の研究をしてるんですけど、鍛冶場を作ったり、道具作りから始めて江戸時代の技法で矢穴を彫ってます。

※矢穴=石割において、石に矢(クサビ)を打ち込むために、鑿(ノミ)と槌(ツチ)で石工によって掘られる穴。

『日本山海名産図会』巻二より(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)*日本各地の産物の採取や生産の様子を図解した本。寛政11年(1799)初版

小豆島の天狗岩丁場に残る矢穴

-なぜ江戸時代の技術を再現されたのでしょうか。また、道具づくりはどうやって学んだのですか?

江戸時代のやり方を始めたのは、当時の人がやってたことがなぜ今の人ができないのか!できないわけないだろ!と手彫りでやってみたい、挑戦したい!という気持ちが起きてからですね。
最初はそんなやり方、やってる人もいなかったし、難しいからできないでしょ、という人もいました。でもちゃんと道具も用意して、彫り方の形跡を調べたり、どういう順番で彫ってるんだろうとか、手順も踏んでやっていたら…できたんですよね。(笑)

道具作りは学生時代に学んだことが生きていると思います。基礎的な鍛冶の練習とかがあって、鉄のみなど道具の作り方を学んでましたので、矢穴を彫るにあたって鍛冶場を新たに作って矢穴堀に挑戦していったわけですね。

鍛冶場でつくられた道具

-現在は石工のお仕事をしながら、積極的にシンポジウムなどに参加されていますね。

そうですね。2013年から石の技術の伝承などを目的にいろんな地区でやっています。
また、実演などの研修は4年前から始めました。文化財であるお城とかの石垣を守っていく組織「文化財石垣保存技術協議会」で伝統的な技法が石垣を保存する中でも必要だということが認められて、そこでも保全・補修のための研修をしています。熊本城でも研修を行いました。石垣を修繕している石工さんとか全国から集まってもらって、道具作り、当時のやり方で石を割ったり、仮の石垣を積んだりしましたね。
あと、2020年2月に小豆島の福田でも専門家や全国から石工さんを招いて石割のワークショップをやりましたよ。

鍛冶場での道具作り(左)/大きな岩で矢穴を彫る様子(右)

-これからどのような活動をしていきたいですか?

大坂城の石垣用の石を切り出した大坂城石垣石丁場跡などのすばらしい遺構がすぐそばにあるので、それを教科書にして全国の石工さんたちと研修をしたりして技術の伝承と掘り下げをしていきたいです。今までわからなかったところをみんなで発見していきたいですね!
丁場も全国津々浦々に残っているのでそういうのを観察するとわかってくることもあるんです。

鍛冶場での道具作り(左)/国史跡の大坂城石垣石丁場跡の1つ「大坂城石垣石丁場跡 天狗岩丁場」

-情熱がありますね!藤田さんにとって石の魅力とは?

すごく純粋で清潔なところかな。普遍的な部分があるところが素敵だな。木とかと違ってなかなか朽ち果てないところとか。あと、石を割った瞬間、割れ目を見た時に、太古から誰も触れたことがない昔の地層を見れるのがいいですね!

天狗岩丁場で矢穴の彫り方を教えてくださいました


インタビュー:2020年3月



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